水曜日のダウンタウンに見る視聴率至上主義
テレビ局の裏側を描いた「さよならテレビ」で一つだけ扱わなかったテーマがある。それが視聴率である。
視聴率は主に関東と関西のビデオリサーチ会社が発表している。「さよならテレビ」はローカル局制作なので視聴率に縛られないのである。
それに対してキー局については、テレビ番組の評価の基準が視聴率に捕らわれがちになる。
「水曜日のダウンタウン」については藤井健太郎が度々言及しているように話題として取り上げられることが多い割に視聴率が伸びないというのである。
その中の一コーナー「モンスターハウス」の突然のイベント発表により、このたび混乱を来し警察沙汰になった事件が報道された。
直前の番組の中で視聴者投票を行った結果は予想される視聴者数を遙かに超えたものだったが、番組を見て押し寄せる群衆に対しての誘導人員や警備の手薄さが指摘されている。
視聴率と実際の視聴者数の乖離が浮き彫りになった形である。
時間的にも公共交通機関が終了した後であるし、翌日は平日である。通常ならヒトケタ台の視聴率である。
これを根拠に警備体制を甘く見ていたのではないか?
もし、イベントにかかるコストを計算した場合、視聴率が低いから警備人数を増やさなくて良い、または視聴率が低いから予算が出ないので警備人数を増やせない。
このような考えで視聴率を根拠に予算配分をした結果が今回の警察沙汰に繋がったとしたら、もういい加減視聴率に振り回されるのは辞めた方が良いのではないか?
視聴率がテレビ番組を評価する唯一の基準だった時代ならともかく、今はネット等の反響であったり、いくらでも評価基準はあるのでないか?
にも関わらず、藤井はまるでコンプレックスであるかのように視聴率が低いことを話題にする。
その姿からは組織の中のいちテレビマンとして視聴率という価値観に縛られていることがうかがえる。
視聴率が低ければ会社の中で肩身が狭いのだろうか?あるいは給料や出世に影響するのだろうか?
また視聴率が低いことによるパワハラでもあるのだろうか?
面白い番組という感覚的な評価よりも具体的に数字として示される指標の方が信頼が置けるのかもしれない。
しかし、そもそも視聴率は桶屋が儲かる式の論法で動いている。
視聴率が良いからといってスポンサーの商品が比例して売れるとは限らないし、CMの評価と商品の売上は一致しない。
例えば、高須クリニックのCMは皆が知っているが、CMを見た人は皆整形するのだろうか?
あるいはアコムのCMを見た人は皆借金するのだろうか?そんな訳がない。
視聴率が良い番組は面白い番組かというとそういう訳でもない。
実態のない視聴率というモンスターがテレビ制作陣を振り回している現状を変えるべきではないか?
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