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令和元年

思えば昭和から平成への変わり目はこんなにお祭り騒ぎはしていなかったわけで食事中にケツから血が出たと大騒ぎするわ、井上陽水が口パクしたCM流すわで、平成という元号もある意味厳粛で厳かな意味合いを持って迎え入れられたわけである。
その意味では目出度い文脈で語られる令和とは世間の受け止め方が違うといえる。
ネットが充実して拡散のスピードも上がっている時代背景もあるだろうが、元号が変わるとわかった瞬間に元号大喜利が始まり、いい加減出尽くした時にほぼ誰も予想しなかった令和が発表されるというかなりのハードルの高さを求められていたわけだが、それでも決まった瞬間の世間のスピードは平成の変わり目とは比べものにならなかった。

ゴールデンボンバーを始め、複数の「令和」という曲が生まれたが、それは主にネット時代のスピードとお祭りムードに担保されたことが大きいと思う。
実は同じようなことを考えている奴が平成にもいた。
「平成元年」という曲が存在する。
野沢直子のアルバムに入っているのだ。しかも平成元年の3月発売だ。
時代背景を考えると不謹慎とのそしりを受けかねない、微妙な時期だ。
どういう歌かというとひたすら平成元年を連呼するだけの歌だ。
ディスってる訳でもない。ダサイと言っている訳でもない。
毒がないからいいじゃないかと思うが、野沢直子にはそれ以前の前科がある。
例えば「おーわだばく」という曲では「ばくばくばくばくおーわだばく」と歌っている。
大和田獏その人のなにがしかを評価した詩ではない所がミソだ。
つまり語感が面白いというだけなのだ。

ある意味厳粛で取り扱い注意の「平成」という元号を、語感を遊ぶというカジュアルな使い方に貶めたのだ。
これを最初にやったということは、ゴールデンボンバーより凄いのではないか。
平成はその後30年余りに渡って、世間で使い続けられることを思えば、遅かれ早かれ世間に馴染ませなければならない事は明白だったが、誰がその風穴を開けるかは時機を窺っていただろう。

だからこそ令和の大騒ぎにはわびさびも何もない薄っぺらな感じがしてならないのである。

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